このブログには書けませんが、ここ数年生きることが辛くなってきました。
いまアラフィフで祖父は私が二十代後半に亡くなり、父は2015年に67才で亡くなりました。
祖父は足が悪く、晩年は床に伏すことが多くなったようでしたが、それが元で床ずれを起こしてしまい、病院に入院すれば命を落とすようなことはなかったと思うのですが、頑なに入院することを拒んで自宅で息を引き取りました。
父親は間質性肺炎を患っており、晩年は自宅には酸素の機械、出かける時も酸素の機械が手放せない状態になっていました。
間質性肺炎に関しては何種類かあり、間質性肺炎でも予後が悪いものがあってそれが気になって父に電話で話したことがありました。
自分の病気だからもう少し調べたり、先生によく聞いたら良いのではないかと。
何度か言った記憶があるのですが自ら病気を良くしようとする意識はあまり感じ取れませんでした。
祖父や父の晩年を見ていると生への執着みたいなものが感じられなかったので、当時の自分は何故なのかさっぱりわかりませんでした。
でも50代にまもなくなろうとしていますがなんとなくわかったような気がします。
いま思ってみると祖父も父も生きるのに疲れたのかなと感じました。
人生充実していればそんなことは思わないと思いますが、祖父も父もそういった境遇には残念ながらなっていません。
そうすれば長生きすることに意味はなく、ただ苦痛が続くだけですよね。
だから自ら長生きすることは選択せずにただただ自然に任せてなくなっていったのだと最近悟りました。
今は自分も苦しい状況でほんと普通に暮らすことが単純に幸せなんだなとつくづく思いました。
高校生ぐらいから自分の生きる意味はよく考えていました。でもその当時から結論は自分の中では出ていて人生の生きる意味は無くてただ生まれて死んでいくだけのものだとなんとなく理解していました。
とはいえ最近生きるのが苦しくて、でも自殺をする勇気なんてない。
そんな時にたまたまYouTubeも見ていて、スッと入って腹落ちした言葉がありました。
人生暇つぶし。
人生の意義もなく、ただの暇つぶし。
暇つぶしなら何やってもいいし、もう少し気楽になった方がいいですね。
最近辛くなったらこれを見ています。